大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和57年(ネ)266号 判決 1993年9月07日

甲、乙事件 控訴人 佐伯易夫

甲事件 控訴人 有限会社後藤製材所

乙事件 控訴人 亡中山登

訴訟承継人中山壽子 ほか三名

甲、乙事件 被控訴人 国

代理人 財津武生 ほか四名

主文

一  昭和五七年(ネ)第二六六号事件について

1  本件控訴を棄却する。

2  請求の減縮により原判決主文第一項を次のとおり変更する。

「控訴人佐伯易夫、同有限会社後藤製材所と被控訴人との間において、原判決添付図面表示の1(基点)ないし22、22及び61、61ないし199、1の各店を順次直線で結んだ線によって囲まれた範囲の土地が被控訴人の所有であることを確認する。」

3  控訴費用は控訴人らの負担とする。

二  昭和六三年(ネ)第四一四号事件について

1  原判決主文第一項を取り消す。

2  控訴人らの境界確定の訴えを却下する。

3  控訴人らのその余の控訴を棄却する。

4  訴訟承継及び反訴請求の減縮により原判決主文第三項を次のとおり変更する。

「控訴人中山壽子、同中山敏子、同中山勉、同中山弘美と被控訴人との間において、原判決添付図面表示の1(基点)ないし22、22及び61、61ないし199、1の各点を順次直線で結んだ線によって囲まれた範囲の土地が被控訴人の所有であることを確認する。」

5  訴訟費用は、第一、二審を通じ、本訴反訴を通じてこれを五分し、その二を控訴人佐伯易夫の負担とし、その余を控訴人中山壽子、同中山敏子、同中山勉、同中山弘美の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(昭和五七年(ネ)第二六六号事件について)

一  控訴人らの控訴の趣旨(なお、控訴人佐伯易夫は、当審において、反訴請求を取り下げた。)

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文第一項の1、3と同旨(なお、被控訴人は、当審において、控訴人佐伯易夫及び同有限会社後藤製材所に対する請求を主文第一項の2のとおりに減縮した。)

(昭和六三年(ネ)第四一四号事件について)

一  控訴人らの控訴の趣旨(控訴の趣旨4は、控訴人中山壽子、同中山敏子、同中山勉、同中山弘美のみに関するものである。なお、控訴人らは、当審において、主位的請求のうち所得権確認を求める部分を控訴の趣旨3記載のとおりに減縮し、予備的請求を放棄した。)

1  原判決を取り消す。

2  別紙物件目録記載(二)の土地の東側と同目録記載(一)の土地との境界は、原判決添付図面表示の22点と61点を直線で結んだ線、同目録記載(二)の土地の西側と同目録記載(一)の土地との境界は、同図面表示の149ないし180の各点を順次直線で結んだ線、及び同目録記載(三)の土地の西側と同目録記載(一)の土地との境界は、同図面表示の136ないし149の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。

3  控訴人らと被控訴人との間において、同図面表示の1(基点)ないし22、22及び61、61ないし199及び1の各点を順次直線で結んだ線によって囲まれた範囲の土地は、控訴人らの共有であることを確認する。

4  被控訴人の控訴人中山壽子、同中山敏子、同中山勉、同中山弘美に対する反訴請求を棄却する。

5  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

主文第二項の2と同旨

2  本案に対する答弁(なお、被控訴人は、当審において、控訴人中山壽子、同中山敏子、同中山勉、同中山弘美に対する反訴請求を主文第二項の4のとおりに減縮した。)

(一) 本件控訴を棄却する。

(二) 控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  昭和五七年(ネ)第二六六号事件について

1  被控訴人の請求原因

(一) 別紙物件目録記載(一)の土地(通称浅内国有林。以下、「甲地」という。)は、被控訴人の所有である。

(二) 原判決添付図面表示の1(基点)ないし22、22及び61、61ないし199及び1の各点を順次直線で結んだ線によって囲まれた範囲の土地(以下、「本件係争地」という。)は、次のとおり、甲地の一部である。

(1) 明治三九年三月、熊本大林区署長は、旧国有林野法(明治三二年法律第八五号。以下、単に「旧国有林野法」という。)所定の手続に従い、旧大分県大分郡野津原村大字入蔵字浅内(以下、「旧大分県大分郡野津原村大字入蔵を単に「旧」といい、同村のうち大字が同一のものについては、小字のみで「字浅内」等と略称する。)一七六六番の土地(以下、「旧浅内一七六六番の土地」という。)とその東側に隣接する国有原野である旧浅内字一七五九番一(以下、「旧浅内一七五九番一」という。)等の土地との境界は、原判決添付図面表示(以下、同表示点については数字のみで表示する。)の1ないし6の各点を順次直線で結んだ線(以下、各点を順次数字の増える順に直線で結んだ線については、起点と終点の数字をもって「1・6線」等と略称することもある。)であり、旧浅内一七六六番の土地とその西側に隣接する国有原野である旧字カウ平一七六七番の土地(以下、「旧カウ平一七六七番の土地」という。)との境界は180・199及び1線である。(以下、両線を併せて「被控訴人主張境界線」という。)と査定し(以下、「本件査定処分」という。)、同年三月一八日に到達した境界査定通告書により、旧浅内一七六六番の土地の管理者である野津原村長宛にその旨通知した。

なお、本件査定処分においては、180、199及び1線は実測を省略しているが、これは、右部分は川になっており、将来境界に異議を生ずるおそれがなかったため、「海面河川道路等ノ界線査定省略方ノ件」(明治三四年六月特発第一〇二号福岡大林区署長照会に対する山林局長回答。以下、「査定省略回答」という。)に従い、実測を省略したものであるから、もとより査定自体は適法である。

(2) 本件査定処分の具体的手続は次のとおりである。

<1> 熊本大林区署長所属係官である境界査定官吏黒木市蔵(以下、「黒木」又は「査定官吏黒木」という。)は、明治三八年六月、字浅内、字カウ平、字鍋山、字日方山所在の国有原野につき、境界査定を実施することとした。

<2> 国有原野である旧浅内一七五九番一の土地に隣接する旧浅内一七六六番の土地は、当時野津原村大字野津原と同村大字入蔵字吉熊の共有地であって、野津原村長がその管理の任にあたっていた(部落所有地については、町村長が管理すべきものとされていた。町村の行政に関する関する規則一一四条、一一五条)が、当時、野津原村長の職務は大分県大分郡書記田坂義直(以下、「田坂」という。)が管掌していた。

<3> そこで、黒木は、明治三八年六月二八日付書面で、田坂に対し、境界査定についての立会いを求める通告をし、その通告書の領収書及び立会請書の提出を受けた後、同月二九日から同年七月一一日にかけて他に立会通告をした隣接地所有者等の関係立会人とともに現地に臨み、字図、土地台帳、地価帳、改租図、国有原野台帳等を検討した上、境界査定を実施した。

<4> 黒木は、右査定結果に基づき国有林境界査定図及び境界査定簿を作成し、明治三八年一〇月一〇日付で熊本大林区署長に対して境界査定承認伺を提出した。同署長は、明治三九年三月一七日付で黒木に対して右境界査定の承認通知をし、野津原村長宛に境界査定通告書を発送し、同書面は同月一八日に到達した。

(3) 本件査定処分については、旧国有林野法で定める出訴期間内に不服申立てがなく、同処分は、遅くとも同年五月末ころには確定した。

なお、仮に本件査定処分における立会通告に関して瑕疵があったとしても、その瑕疵は手続上のものにすぎず、本件査定処分を無効ならしめるほどの重大かつ明白な瑕疵とはいえない。

(4) 旧国有林野法に基づく境界査定処分は、国有林野と隣接地との境界を査定する行政処分であるから、境界査定処分が確定した以上、査定どおりの境界が確定されることになるのみでなく、右境界に従って国有地の所有権の範囲も画されることになる。したがって、本件査定処分の確定により、本件係争地は、旧浅内一七五九番一、旧カウ平一七六七番の土地と確定した。

(5) 旧浅内一七五九番一、旧カウ平一七六七番外三筆の土地は、大正二年一〇月三日合筆されて旧浅内一七五八番の土地(国有地)となったが、その後同番一(甲地)ないし五の土地に分筆され、本件係争地は甲地の一部となっている。

(三) 控訴人佐伯易夫(以下、「控訴人佐伯」という。)、同有限会社後藤製材所(以下、「控訴人会社」という。)は、本件係争地は、別紙物件目録記載(二)、(三)の土地(以下、(二)の土地を「乙地」といい、(三)の土地を「丙地」という。)の一部であると主張して、被控訴人の所有権を争っている。

(四) よって、被控訴人は、右控訴人らに対し、本件係争地が被控訴人の所有であることの確認を求める。

2  請求原因に対する控訴人らの認否及び反論

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)のうち、本件査定処分が被控訴人主張の時期に実施されたことは認めるが、本件査定処分によって査定どおりの境界が確定し、本件係争地が国有地であることが確定したとの主張は争う。本件査定処分は、後記のとおり、不存在又は無効であって、旧カウ平一七六七番の土地と旧浅内一七五九番一の土地とは隣接していなかったから、被控訴人主張の合筆はその要件を欠き無効であり、ひいてはその後の分筆も無効であって、本件係争地が甲地の一部となることはない。本件係争地は、後記昭和六三年(ネ)第四一四号事件における控訴人佐伯、同中山ら主張(同事件本訴請求原因(三))のとおり、乙、丙両地に含まれるものである。

(三) 同(三)は認める。

(四) 本件査定処分は、次のとおり不存在というべきである。

(1) 本件査定処分は、黒木作成の国有林境界査定図(以下、「本件査定図」といい、本件査定図に表示された境界査定点については「査定点100」等と表示する。)に依拠してされたところ、本件査定図では、旧浅内一七六六番の土地と旧カウ平一七六七番の土地との北側境界点である査定点100からその北西の査定点99までの部分及び査定点105から同106の間は査定省略とされているから、右各部分(以下、一括するときは「本件査定省略部分」という。)については境界査定処分は不存在であり、そうである以上、本件査定処分によっては、本件査定省略部分のみならず全部について境界を確定できないことになるから、本件査定処分は全体として不存在である。

(2) 仮に本件査定省略部分が川であるため、査定はしたものの実測のみを省略したとしても、次のとおり、同部分について実測を省略することは許されないから、やはり境界査定は不存在である。

<1> 査定省略回答は、通達であって法律ではないから、国民を拘束するものではない。被控訴人が通達に従って実測を省略したとしても、国民に対する関係では査定処分そのものが省略されたことになる。

<2> 査定省略回答によれば、実測を省略できるのは「河川」であるところ、旧河川法上の河川もしくは準用河川であってはじめて「河川」といい得るが、本件査定省略部分はこれに当たらないから、実測を省略することは許されない。

<3> 国有林野境界査定手続(明治三四年五月林発第一八号達)によれば、実測を省略できるためは、「境界点の位置が容易に知了し得、かつ、一箇所において周囲測量に着手中であること」を要する(同手続二四条)ところ、本件査定省略部分については当時周囲測量がされておらず、右の要件を満たさない。

(五) 本件査定処分は、次の理由により、無効である。

(1) 手続上の無効事由(立会通告の欠缺)

<1> 国有林野の境界査定は、当該官庁において、予め期日を定めて隣接地所有者に通告し、その立会いを求めて施行しなければならない(旧国有林野法四条)が、本件査定処分にあたっては、右の通告及び立会いを欠いているし、しかも、黒木らが公文書を偽造した上、立会権者でない者を立ち会わせて行っているから、本件査定処分には重大かつ明白な瑕疵があり、無効である。

(a) 本件査定処分が行われた明治三八年当時、旧浅内一七六六番の土地は、野津原村大字野津原と同村大字入蔵字吉熊両部落の共有であったが、当時大字野津原には、小字恵良、本町、新町の三区があり、また、大字入蔵字吉熊には小字吉熊組があって、各小字にはそれぞれ区長と区長代理が選出されていた。

(b) したがって、本件査定処分当時の旧浅内一七六六番の土地の管理者は、右恵良、本町、新町及び吉熊組の四区長であったのに、これらの区長に対する立会通告はなされず、したがって立会権者による立会いもされないまま本件査定処分がなされた。

(c) しかも、黒木らは、旧浅内一七六六番の土地が部落有であって、野津原村の所有(村有地)でないことが明らかであるのに、同土地が野津原村と字吉熊との共有である旨を、公文書である国有林境界査定野帳、国有隣接地取調調書、境界査定立会通告書に記載してこれを偽造し、あたかも野津原村長が同土地の管理者であるかのごとき虚偽の事実を作りあげたのみならず、当時田坂が野津原村長の職務を管掌していた事実はないのに、同人を右職務管掌者であるとして、同人に境界査定の通告書を領収させて境界査定に立ち会わせ、虚偽の境界査定通告、立会い等の手続をとった。

(d) このように、本件査定処分における立会通告、立会いは違法な手続によって行われたものであるから、本件査定処分には、手続上、重大かつ明白な瑕疵がある。

(2) 内容上の無効

次のとおり、本件査定処分は、字図を全く無視し、境界として査定すべき箇所を査定せず、査定すべきでない箇所を査定したものであるから、その内容において、重大かつ明白な瑕疵があり、無効である。

<1> 旧浅内一七六六番の土地と国有地である旧浅内一七五九番一、旧カウ平一七六七番の各土地との位置関係は、後記昭和六三年(ネ)第四一四号事件における控訴人佐伯、同中山ら主張(同事件本訴請求原因(三)(1)<1>)のとおりであるから、本件係争地の場合、国有地と隣接するとして境界査定すべき場所は、東側境界線として22・61線、西側境界線として136・180線であるのに、これに沿った境界査定は全くされていない。

<2> 境界査定処分は、国有地と隣接する民有地との境界を査定するものであるのに、本件査定処分による境界査定(被控訴人主張境界線)は、民有地である旧浅内一七六六番の土地内を横断して民有地と民有地との境界を査定し、控訴人ら所有地を侵奪した。

(3) 憲法違反

本件査定処分は、控訴人らの共有である本件係争地を被控訴人(国)が取り込んだもので、公益上の必要がないのに、公権力によって私人の財産権を侵害したのであるから、旧憲法二七条及び現憲法二九条に違反し、無効である。

(六) 仮に本件査定処分が有効であるとしても、境界査定処分は国有林野と隣接民有地との境界を確定するものにすぎず、所有権の変動を生じさせるものではないから、本件査定処分によって本件係争地についての控訴人らの所有権が否定されることはない。

(七) また、仮に被控訴人が本件査定処分によって本件係争地の所有権を取得したとしても、被控訴人は本件係争地について所有権取得登記を経由していないから、本件係争地を含む乙、丙両土地について所有権取得登記を経由している控訴人らに対し、本件係争地の所有権を対抗できない。

二  昭和六三年(ネ)第四一四号事件について

(本訴について)

1 控訴人らの請求原因

(一)(1) 控訴人佐伯は、乙地及び丙地の最終譲受人として、両土地をいずれも持分二分の一の割合で共有している(その旨の登記済み)。

(2) 亡中山登は、乙地及び丙地の最終譲受人として、両土地をいずれも持分二分の一の割合で共有していた(その旨の登記済み)が、昭和六三年八月一五日死亡し、その妻である控訴人中山壽子、その子である同中山敏子、同中山勉、同中山弘美(以下、この四名を「控訴人中山ら」ということがある。)が亡中山登の権利義務を相続した。

(3) なお、控訴人佐伯及び亡中山登の譲受けに至るまでの両土地の経緯は、次のとおりである。

<1> 旧浅内一七六六番の土地は、もと野津原村大字野津原と同村大字入蔵字吉熊組の両部落の共有であった。

<2> 旧浅内一七六六番の土地は、昭和二二年五月三日の政令第一五号二条により同年七月五日に野津原村の所有となり、昭和三四年二月一日町制施行で野津原町の所有となった。

<3> 旧浅内一七六六番の土地は、昭和三四年五月二七日に字浅内一七六六番一ないし四の土地に分筆され、昭和三四年七月二一日に、いずれも野津原町大字野津原、同町大字入蔵字吉熊の共有名義で保存登記された。

<4> その後、字浅内一七六六番三の土地(乙地)及び同番四の土地(丙地)は、転々譲渡され、控訴人会社は、昭和五〇年二月一三日訴外清本国義からその持分二分の一を、同年八月二三日訴外亜聯産業株式会社から持分二分の一をそれぞれ買い受けて所有権を取得し、同年九月一〇日控訴人佐伯に対し、同人に対する債務の担保として売り渡し、さらに昭和五三年一月六日控訴人佐伯の同意を得てそのうちの持分二分の一を亡中山登に対し、担保として売り渡した。

(二) 被控訴人は、甲地を所有している。

(三) 甲地と乙、丙両地は隣接しており、その境界は、乙地東側が原判決添付図面(なお、同図面は、昭和五七年(ネ)第二六六号事件原判決添付図面と同一である。)の22及び61の各点を直線で結んだ線(原判決添付図面の表示点の表示方法及び略称方法は、昭和五七年(ネ)第二六六号事件におけるそれと同じ。)、同西側が149・180線、丙地の西側が136・149線であり(以下、一括して「控訴人ら主張境界線」という。)、本件係争地は乙、丙両地である。その根拠は次のとおりである。

(1) 字図の現地への復元

<1> 大分地方法務局稙田出張所保管にかかる字図(以下、「本件字図」という。)によれば、旧浅内一七六六番の土地は、その東側を国有地である旧浅内一七五九番一の土地に接し、西側を国有地である旧カウ平一七六七番の土地に接し、両土地の中間に位置しており、その北側は字向山ノ口に、南側は大野郡安藤村との境(すなわち、大分県大分郡と同県大野郡との郡境)に各接している。

<2> 本件字図は、現地を実測して作成されたもので、その信用性は極めて高い。

<3> 本件字図を現地で復元すれば、次のとおりとなる。

(a) 180・199及び1線、1・6線

字浅内一七六六番二の土地と本件係争地との境界線

(b) 6・22線

本件係争地と隣接する北東側民有地との境界線

(c) 22及び61線

本件字図上、本件係争地が字浅内一七六五番の土地の南東部分に接する点を北端とし、甲地と安藤村との境界がL字型に接する付近の西南角を南端として、両端を直線で結んだ線

(d) 61・136線

本件係争地とその南東側、南側、南西側で隣接する大野郡所在の民有地との境界線

(e) 136・155線

本件字図上、本件係争地の西南角から北東に概ね直線で延長した線に該当し、現地では、字浅内と字カウ平の境に存する逆「く」の字形の峰筋の南側半分にあたる。

(f) 155・180線

本件字図上、字浅内一七六五番の土地の西角を西南方向に「く」の字形に直線で延長した線に該当し、現地では右逆「く」の字形の峰筋の北側半分であって、155点には右峰筋の中央部に存する檜の立木があり、180点には右峰筋が吉熊谷に下りたところに存する檜の立木があって、境界として明瞭である。

(2) 占有状況

本件係争地は、明治四二年以前は、旧浅内一七六六番の土地の所有者である大字野津原部落の者が占有していた。

(3) 旧浅内一七六六番の土地の分筆経過等

<1> 右(1)、(2)によれば、本件係争地は旧浅内一七六六番の土地の一部であるところ、旧浅内一七六六番の土地の分筆(請求原因1(一)(3)<3>)は、旧浅内一七六六番の土地の所在場所を現地で全体的に観望して、同土地が本件係争地を含むものとして、本件字図と対比して四等分し、西北方から南東方にかけて順に枝番を付す形で行われた。

<2> 昭和三七年ころから昭和四七年にかけて行われた国土調査の結果、字浅内一七六六番二の土地の南側境界線は、180・199及び1線、1・6線(ほぼ現地を流れる吉熊川沿いの線)と確定された。

<3> したがって、乙地は、右の線に隣接してその南側に存在し、丙地はさらにその南側に存在することになるところ、前記分筆時の分筆線に従って乙地と丙地の範囲を確定すると、乙地と丙地との境界は149点と61点を結んだ直線となる。そうすると、乙地は6・22線でその東側の民有地と隣接しているから、乙地とその東側に隣接する甲地との境界は、22及び61線となり、また、乙地はその西側でも甲地と隣接しているから、乙地の西側と甲地の境界は、149・180線となる。次に、丙地はその東側、南側及び西側の一部で大野郡所在の民有地と隣接しているが、その境界は61・136線であるから、丙地とその西側の一部で隣接する甲地との境界は136・149線となる。

(4) 以上のとおり、甲地と乙地、甲地と丙地との境界は控訴人ら主張境界線となり、本件係争地は乙、丙両地に含まれるものである。

(四) 被控訴人は、本件係争地は甲地の一部であると主張して、控訴人らの所有権を争っている。

(五) よって、控訴人らは、甲地と乙地及び甲地と丙地との各境界の確定を求めるとともに、本件係争地が控訴人らの共有であることの確認を求める。

2 被控訴人の本案前の主張

控訴人らは、本案係争地が旧浅内一七六六番の土地に属することを前提にし、その後乙、丙両地が控訴人らの共有となったとして、甲地と乙、丙両地との境界の確定を求めているところ、昭和五七年(ネ)第二六六号事件における被控訴人の請求原因1(二)に詳述するとおり、本件査定処分により、本件係争地は国有地と確定した(その後本件係争地は甲地の一部となった。)から、控訴人らが本件係争地を所有しているとする余地はない。控訴人らの乙、丙両地は登記簿上は存在しても実際には存在しない土地であり、仮にそうでないとしても、乙、丙両地が甲地と隣接しているとはいえないから、控訴人らの、甲地と乙、丙両地との境界確定を求める訴えは、訴訟要件を欠くもので、不適法である。

3 本案前の主張に対する控訴人らの反論

本件査定処分は、昭和五七年(ネ)第二六六号事件における控訴人らの反論のとおり、不存在もしくは無効であるから、本件係争地は控訴人らの共有であり、甲地と乙、丙両地は隣接している。

4 請求原因に対する被控訴人の認否

(一) 請求原因(一)(1)、(2)のうち、控訴人佐伯及び亡中山登が乙、丙各土地につき持分各二分の一の割合の共有の登記をしていることは認めるが、両名が共有権者であることは不知。同(一)(3)のうち、<1>、<3>は認めるが、<2>は不知。

(二) 同(二)は認める。

(三) 同(三)は争う。字図は、もともと民有租税地の整備と租税の適正化を目的として収税官吏により作成されたものであるから、現地復元性に乏しく、本件字図も現地の占有状態とは全く符号せず、その信用性は極めて低いものである。

(四) 同(四)は認める。

5 被控訴人の主張及びこれに対する控訴人らの認否及び反論

被控訴人の主張は、昭和五七年(ネ)第二六六号事件における被控訴人の請求原因1(二)のとおりであり、これに対する控訴人らの認否及び反論は、同請求原因に対する認否及び反論のとおりである。

二  反訴について

1  被控訴人の請求原因

(一) 被控訴人は甲地を所有している。

(二) 本件係争地は、本訴における被控訴人の主張のとおり、甲地の一部である。

(三) 控訴人中山らは、本件係争地が乙、丙両地の一部であると主張し、被控訴人の所有権を争っている。

(四) よって、被控訴人は、控訴人中山らに対し、本件係争地が被控訴人の所有であることの確認を求める。

2  請求原因に対する認否及び控訴人中山らの主張

(一) 請求原因(一)は認める。

(二) 同(二)は争う。本件係争地は、本訴における控訴人中山らの主張のとおり、乙、丙両地に含まれる。

(三) 同(三)は認める。

第三証拠

原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一昭和五七年(ネ)第二六六号事件について

一  請求原因(一)及び(三)の事実は当事者間に争いがない。

二1  被控訴人は、本件係争地は本件査定処分の確定により甲地の一部となった旨(請求原因(二))主張するのに対し、控訴人らは、本件査定処分は不存在又は無効であるなどと主張して、これを争うので、以下、順次検討を加える。

2  境界査定処分の一般的手続について

(一) 旧国有林野法は、国有林野の境界査定は、当該官庁において予め期日を定め、隣接地所有者に通告してその立会いを求めて施行することを要し(四条)、また境界査定が終わったときは、直ちに隣接地所有者に通告することとし(五条)、隣接地所有者が境界査定に不服があるときは、通告を受けた日より六〇日以内に行政裁判所に出訴することができる(七条)としている(<証拠略>)。

(二) 同法を受けて、旧国有林野法施行規則(明治三二年八月省令第二五号。<証拠略>)は、境界査定を施行しようとするときは、境界査定官吏は、期日を定め、隣接地所有者が何時でも立会いをすることを承諾したときを除き、少なくともその期日より五日前に査定の日時場所を隣接地所有者に通告することとし(三条)、境界査定を終わったときは、大林区署長は直ちにその旨を隣接地所有者に通告し、かつ、所轄小林区署に査定図の謄本を送付することとし、隣接地所有者はその閲覧を請求することができるとしている(五条。なお、通告は書面で行うこととされ、郵便で送付するときは配達証明郵便ですることとされている。六条)。

(三) そして、国有林野測量規程(明治三三年九月二九日農商務省訓令第三三号。<証拠略>)は、境界査定官吏は、予め地租改正の当時及びその後の土地丈量の際調整した書類図面、官林台帳、旧記、旧図、その他境界判定の資料となるべき書類物件を調整し、なお実地に就き境界の状況、付近の地形、林相等を観察した上で境界査定に着手すべきものとし(五条)、隣接地所有者のみならず、必要と認めるときは市長村長等の関係人の立会いを求め、市町村以上の行政区界については当該吏員の立会いを求めて定めることとし(七条)、境界査定を施行したときは、境界の保存上必要と認める個所等に境界査定標を建設し(八条)、境界査定図及び境界査定簿を調整して所属上官の承認を受けることとし(九条)、また、隣接地所有者に異議がないときは、右の承認に先立って境界標を建設することができるとしている(一〇条但書)。

(四) 次いで、国有林野測量内規(明治三三年九月整第二〇八三号内訓。<証拠略>)は、所属上官は、境界査定が終了したときは、その図面及び簿表を対査し成績の検閲をして(二条)、その正確を認めたときは、境界査定図、境界査定簿等の正本を大林区署に送付し、大林区署長は、境界査定図、境界査定簿の謄本を国有林野所管の小林区署に送付して保管させることとし(四条)、境界査定については、境界査定は、国有林野と隣接地との境界を判別確定するために施行するもので(六条)、境界査定官吏は、国有林野測量規程五条により境界判定の資料を蒐集し、査定に着手の準備が整ったときは、国有林野法施行規則三条により通告書を送付し隣接地所有者の立会いを求めて査定を施行し(七条。なお、立会いをする者は、団体又は数人の所有地の場合は概ねその管理人であることを要するとしている。八条三号)、境界標の建設を完了したときは、大林区署長に報告し(九条)、同署長は、この報告により、国有林野法施行規則五条の境界査定終了の通告をすることとしている(一〇条)。

(五) さらに、国有林野境界査定手続(明治三四年五月林発第一八号達。<証拠略>)は、境界査定は、境界の予備調査、隣接地所有者の立会い、境界の測定、図面帳簿調整等の順序で施行することとし(一〇条)、これらについて詳細に規定している(一一条以下)。

3  境界査定処分の性質・効力について

右2(一)で検討したところによると、旧国有林野法は、境界査定処分につき、隣接地所有者の立会いを求めて実施し、これに不服のある者の行政裁判所への出訴を認め、最終的には同裁判所の判断によりその処分の効力を確定しようとしているものであるから、境界査定処分は、国有林野と隣接地非国有地との境界を査定するのみでなく、その境界によって区分される国有林野の範囲を決定することを目的とする行政処分と解され、したがって、境界査定処分について不服申立がないまま確定したときは、境界査定処分に重大かつ明白な瑕疵があるため無効とされない限り、行政処分の効力として、査定された境界が境界線として確定するとともに、その境界によって区分された国有地の範囲も確定することになると解するのが相当である。

4  本件査定処分の実施手続について

(一) 本件査定処分が被控訴人主張の時期に実施されたことは当事者間に争いがなく、右の事実に、<証拠略>によると、次の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

(1) 査定官吏黒木は、明治三八年六月、熊本大林区署長の命を受けて、字浅内、字カウ平、字鍋ノ山、字日方山所在の国有原野とこれに隣接する非国有地との間の境界について、旧国有林野法に基づく境界査定を実施することとした。

(2) 右国有原野は、字図上、北東方向から南西方向にかけて、旧字鍋ノ山一七五八番の土地、旧浅内一七五九番三の土地、旧字浅内一七五九番一の土地、旧カウ平一七六七番の土地、旧字日方山二八三二番の土地が存し、旧浅内一七五九番一の土地と旧カウ平一七六七番の土地の間に民有地である旧浅内一七六六番の土地が存していた。

(3) 査定官吏黒木は、字図、土地台帳、地価帳、改租図、国有原野台帳等を検討して予備調査をした上、旧浅内一七六六番の土地は、野津原村村長が管理しており、当時その職務は大分県大分郡書記である田坂が管掌しているとして、同年六月二八日付書面で、田坂に対し、境界査定について立会いを求める旨通告し、その通告書の領収証及び立会請書の提出を受けた後、同月二九日から同年七月一一日にかけて、他に立会通告をした隣接地所有者等の関係立会人とともに現地に臨み、前記国有原野とこれに隣接する非国有地との境界査定を実施した。

(4) 境界査定にあたり、査定官吏黒木は、査定点に杭打ちして査定標を設置し、各査定点間についてはその方位、距離を測定し、主要な査定点については、立会隣接地所有者に異議がなかったことから、境界標として土塚等を設け、その結果を国有林境界査定野帳(<証拠略>。以下「境界査定野帳」という。)に記入した。

(5) 査定官吏黒木は、浅内国有原野とカウ平国有原野との境界は、査定点100と同29を結んだ直線であり(査定点100の地点からは、同99から同100を流れる川が、南に折れて水無しの谷に繋がっているとし、査定点29はその延長線上にあるとしている。)、浅内国有原野と鍋ノ山国有原野との境界は、査定点128から西方に向かう線であるとし、本件係争地付近については、旧浅内一七六六番の土地とカウ平国有原野(旧カウ平一七六七番の土地)との境界は査定点99ないし同100の線であり、旧浅内一七六六番の土地と浅内国有原野(旧浅内一七五九番一の土地)との境界は査定点100ないし同106の線であると査定し、旧浅内一七六六番の土地は査定点99ないし同106を結ぶ線の北側部分であるとした。ただし、同人は、本件査定省略部分については、査定を省略した。

(6) 査定官吏黒木は、右査定結果に基づき、境界査定野帳をそのまま境界査定簿とし、同年七月付で国有林境界査定図(<証拠略>。以下「本件査定図」という。)を作成し、同年一〇月一〇日付で熊本大林区署長に対し境界査定承認伺を提出した。

同大林区署長は、右査定に関する一件書類を調査した上、本件査定図どおりにこれを承認することとし、明治三九年三月一七日付で黒木に対しその旨通知するとともに、同日付で、右国有原野を管轄する大分小林区署長に対し、林業課長名で、隣接地所有者から閲覧申請があった場合にはこれに閲覧させるべく、境界査定図二葉を送付したほか、さらに同日付で、配達証明郵便により、野津原村長工藤茂宛に境界査定通告書を発送し、同書面は翌一八日に同人に到達した。

(7) 本件査定処分については、旧国有林野法で定める出訴期間内に不服申立てがなく、同処分は確定した。

(二) 右認定した事実によると、査定官吏黒木は、前記2の旧国有林野法、同法施行規則、国有林野測量規程、同内規、国有林野境界査定手続に従い、所定の手続を履践して、本件査定処分を行ったものと推認することができる。

5  本件査定処分が不存在であるとの控訴人らの主張について

(一) 控訴人らは、査定官吏黒木が本件査定省略部分の査定を省略したことから、右部分の査定がない以上、本件査定処分は全体として不存在である旨主張するので以下検討する。

(1) 査定省略回答は、将来境界について異議が生ずるおそれがなく、かつ、境界実測上何らの支障がない場合には、道路、河川等特に境界線の明らかなものは、境界線の終始点に査定標を建設してその中間の査定を省くとの取扱いをして差し支えないとしている(<証拠略>)。

(2) そして、<証拠略>によると、査定官吏黒木は、本件査定図において本件査定省略部分を水色の線で表示した上、当該部分に「査定省畧」と記載していること、同人は、査定点99、同100、同105、同106、同112、同117に査定標を設置した上、境界査定野帳に、査定点99について「本点ヨリ谷川界上ル」との、同105について「本点ヨリ谷川界下ル、川界ニ付実測セズ」との、同107について「本点ヨリ谷川界上ル」との、同112について「本点ヨリ谷川界上ル、117点まで実測省畧」との各記載をしていることが認められるところ、右の事実に、一般に図面上水色の線は水の流れる部分を表示するために用いるのが通例であることからすると、本件査定省略部分は谷川(河川)であって、査定省略回答による査定省略の要件を満たすことから、査定官吏黒木は、査定省略回答に従って、本件査定省略部分の査定を省略したものと認定することができる。

(3) また、<証拠略>(明治四〇年五月山林技手坂井尚一作成に係る鍋山外三字国有林図。以下、「坂井作成図」という。)によれば、査定点99と同100の間及び同105と同106の間は、幅のある二本線で表示されその幅部分が水色で着色されていること、本件現場の写真であることに争いのない<証拠略>、原審における検証の結果によれば、査定点99と同100の間は現況も河川であって、ほぼ南東から北西に流れる全体として窪地状の谷川であり、その幅員は約四ないし七・四メートルとかなり広く、左岸、右岸、河川敷とも各所に岩盤が露出して地盤が相当堅固であって、容易に変化するものではなく、明らかに河川といえるもので、単なる水寄せの谷ではないことが認められるのであって、これらの事実は、右(2)の認定を裏付けるものである。

なお、原審証人藤長晃興は、本件係争地付近の字図である、入蔵村の内三八番字浅内、三九番字平蔵畑全図(<証拠略>)では、河川の水流が距離的に査定点100まで至っていない旨証言するけれども、同証言は字図の距離関係が正確であることを前提とするものであるところ、一般に字図は距離等定量的なものについては不正確な例が少なくないから、同証言によっても、査定点99と同100の間が川であったとする前記認定を覆すに足りない。

(4) もっとも、<証拠略>によると、本件査定図において、査定点106から同112までの間は、水色の線で表示されているほかに、ほぼ同線に沿って他の査定点間と同様実線が記載されており、「査定省畧」との記載もないことが認められるから、査定点106から同112までの間は査定がされたというべきであるが、査定を省略し得る場合に査定をすることは何ら差し支えのないことであるから、同じ河川であるのに、右部分を査定していながら本件査定省略部分を査定しなかったことをもって違法であるということはできない上、<証拠略>によると、本件査定処分後の明治四〇年五月に作成された坂井作成図では、査定点106から同112までの間は一本の実線で表示され、それに沿って、水色ではなく、黄緑色で着色されているから、明治四〇年には、右部分は水の流れる箇所ではなかったと認められることからすると、査定官吏黒木は、本件査定当時、右部分は一応水の流れる箇所ではあったものの、河川としての恒久性に疑問があり、この部分について査定を省略することにより将来境界について異議が生ずるおそれがないとはいえないため、同部分の査定を実施したものと推認されるのであり、同じく川でありながら、一方では査定が実施され、他方では省略したからといって何ら異とするに足りない。

(5) なお、<証拠略>によると、本件査定処分後の明治三九年度に山林技手大西判司によって、本件査定省略部分を含めて周囲測量がされ、その測量結果によって測量手薄が作成されていること、右周囲測量における測量点は、査定点99と同100の間は、当該部分の河川の右岸、左岸にまたがっていることが認められるところ、右の事実によると、本件査定処分において右部分の査定を省略したために、同部分の境界線が河川の右岸あるいは左岸のいずれであるかが不明であるかのごとくである。

しかしながら、国有林野測量規程、国有林野測量内規(<証拠略>)では、周囲測量は、国有林野の境界を測定し、その面積を算定するために施行されるもので(同内規七八条)、境界査定後遅滞なく行われるものであり(同規程二条)、境界査定の結果に基づき境界線を測定する(同内規七九条)ものではあるけれども、境界線上にある河川については、境界外に亙って連絡する付近の状況を見取りで測定すべきものとされている(同内規八四条二号但書)のであるから、境界自体は境界査定処分によって定まるのであって、周囲測量はそれを測量するものにすぎず、しかも、境界が河川であるときは周囲測量も見取りで足りるのであるから、性質上、その正確性に重きを置くことはできないものである。

前記のとおり、本件査定処分においては、右部分が河川であって、将来境界として異議が生ずるおそれがなかったために査定が省略されたものであるから、河川自体が境界とされたものであるというべきであり、周囲測量による測定点によって境界査定により査定された境界が変動するわけではなく、周囲測量の測定点が河川の両岸にまたがったからといって、右部分の境界が不明確であるとすることはできない。

(二) 控訴人らは、査定省略回答は通達にすぎないから、これに従った査定処分がなされても、国民に対する関係では査定処分がなかったことになると主張する。

たしかに、査定省略回答は行政庁内部の通達であるけれども、通達に従った境界査定処分が行われた以上、行政処分の持つ公定力からして、本件査定処分は一般人を拘束するものといわなければならない(査定省略回答の内容(前記(一)(1))からして、それが旧国有林野法に反するものとも認められない。)。控訴人らの主張は独自の見解であって採用できない。

(三) 控訴人には、査定省略回答にいう「河川」は、旧河川法上の河川もしくは準河川に限られると主張する。

しかしながら、旧河川法(明治二九年四月法律第七一号)は、河川のうち、主務大臣において公共の利害に重大な関係があると認定した河川を同法上の河川とし(同法一条。準用河川につき同法五条)、その管理、使用制限等を定めたものであって、主に治水対策上の観点から、河川の概念を重要な一定の河川に限定したものと解されるところ、査定省略回答は、河川であって境界として明らかであることから、その査定の省略を認めるのにすぎないのであって、旧河川法の立法趣旨とはその性質を異にするものである上、査定省略回答には、査定を省略できる河川を旧河川法上の河川に限定する文言もないことからすると、右回答にいう河川は、社会通念上河川と認識されるものであれば足り、旧河川法にいう河川もしくは準用河川である必要はないと解すべきである。控訴人らの主張は採用できない。

(四) 国有林野境界査定手続(<証拠略>)では、境界線は、携帯図板、磁針器、間縄等によってその方位及び距離を測定すべきである(ただし、方位は度位に止め、距離は間以下少数一位に止める。二三条)が、境界点の位置を容易に知了し得る場合で、かつ、一箇所において周囲測量に着手中のときは、右の測定を省略して周囲測量官吏に委嘱することができる旨(二四条)規定されているところ、控訴人らは、本件査定省略部分については当時周囲測量に着手していなかったから、同部分について実測を省略することは許されないと主張する。

しかしながら、本件査定省略部分は、国有林野境界査定手続二四条に従って査定を省略したものではなく、査定省略回答に従って査定を省略したものであること及び本件査定処分が査定省略部分については河川が境界であるとしたことは前記認定のとおりであるから、右査定省略について国有林野境界査定手続二四条の適用があるということはできないし、本件査定処分自体が存在しないものとなるわけでもない。この点に関する控訴人らの主張も採用できない。

(五) 以上要するに、本件査定処分は、査定点を順次直線で結んだ線と本件査定省略部分(河川であるため境界が明らかであって、将来境界について異議を生ずるおそれがなく、かつ、境界の実測上支障がないとして査定を省略した部分)により、境界を査定したものであり、本件境界査定処分は存在しているというべきである。

6  本件査定処分の効果について

(一) <証拠略>によると、本件査定処分の査定点99ないし同100の線は、現地においては、180・199及び1線に、査定点100ないし同105の線は、同じく1・6線にそれぞれ相当し、本件係争地は、右各線のほか、本件査定処分によって査定された査定点を結ぶ線で区分された土地内にあることが認められる。

(二) そうすると、前記3で判示したところに従い、本件査定処分に重大かつ明白な瑕疵があって、それが無効と認められない限り、本件査定処分の確定により、旧浅内一七六六番の土地と隣接国有地との境界は、本件係争地部分に関しては被控訴人主張境界線と確定するとともに、本件係争地は国有地として確定されたというべきである。

7  本件査定処分には重大かつ明白な瑕疵があり、無効であるとする控訴人らの主張について

(一) 立会通告等の手続上の瑕疵について

(1) 本件査定処分当時、旧浅内一七六六番の土地が野津原村大字野津原と同村大字入蔵字吉熊の共有であったことは当事者間に争いがなく<証拠略>によると、本件査定処分当時、旧浅内一七六六番の土地は、土地台帳上、「小字吉熊組外壱大字」の共有地とされていたことが認められ、また、査定官吏黒木が、旧浅内一七六六番の土地の管理者が野津原村長であるとし、同村長職務管掌者が田坂であるとして、同人に対し境界査定立会いの通告をしたこと、境界査定官吏黒木は、田坂から、立会通告書の領収証及び立会請書の提出を受けたことは前記4(一)(3)で認定したとおりである。

(2)<1> 控訴人らは、本件査定処分当時、大字野津原には、小字恵良、本町、新町の三区があり、また大字入蔵字吉熊には小字吉熊組があって、各小字にはそれぞれ区長と区長代理が選出されていたと主張するところ、市制町村制(明治二一年四月法律第一号。<証拠略>)では、町村の区域広潤なとき等は、町村会の議決によって数区に分けて毎区に区長及びその代理者各一名を置くことができる旨規定されていること(町村制六四条)、<証拠略>によると、野津原村で保存された記録上、少なくとも明治四〇年には、控訴人ら主張の各区の区長が選出された旨の記載があることが認められ、これらの事実に、<証拠略>によると、控訴人ら主張の右の事実を認めることができる。

<2> 控訴人らは、旧浅内一七六六番の土地は村有地ではなく、部落有地であるから、立会通告は、右区長らに対してすべきであると主張する。

しかしながら、<証拠略>によると、区長及びその代理者は、町村長の機関となりその指揮命令を受けて区内に関する町村長の事務を補助執行するものであり(町村制七三条)、また、町村内の区又は町村内の一部もしくは合併町村で別に区域を存して一区をなすものが特別に財産を所有しているときは、その財産に関する事務は、町村の行政に関する規則により町村長が管理する旨規定されていた(町村制一一四条、一一五条)のであるから、部落有の財産についても、町村長が管理権限を有するものであって、区長及び区長代理は町村長の単なる補助機関にすぎないというべきである(右認定に反する原審証人梅田喜三治の証言は、町村制の規定に照らし、採用できない。)。

そうすると、本件査定処分当時、旧浅内一七六六番の土地は、土地台帳上、小字吉熊組外壱大字の共有地とされていたのであるから、同土地の管理者は野津原村長であるというべきであり、したがって、査定官吏黒木が、境界査定野帳、国有隣接地取調調書、境界査定立会通告書に旧浅内一七六六番の土地が野津原村と吉熊組の共有であると記載し(右事実は、<証拠略>によって認める。)、旧浅内一七七六番の土地について野津原村長に立会通告をすべきであるとしたことに何ら違法はない。

(3) 次に、控訴人らは、本件査定処分当時、田坂は野津原村長の職務管掌者ではなかったと主張するところ、<証拠略>によると、田坂は、明治三八年二月二八日に大分郡書記に任命されたこと、野津原村の村長、職務管掌者等の氏名及び在職期間を記載した同村職員録には、田坂について、明治四〇年四月一日から同年七月二六日までの間村長職務者であったとの記載があるものの、同人に対し本件査定処分に関する立会通告がされた明治三八年六月当時は、同人が村長職務管掌者であったとの記載がなく、また、明治三八年六月一日に村長が退任してから、同年七月一七日に新村長が就任するまでの間は、村長名の記載がないことが認められ、右の事実によると、控訴人ら主張事実が認められるかのごとくである。

しかしながら、右認定の新村長就任までの間、野津原村においても村長の職務を行う者が必要であったことは当然であるし、田坂がその後同村長職務管掌者に任命されていることからすると、右期間中も同人が同村長職務管掌者に任命されたと考えることには合理性があるといえること、<証拠略>によると、本件査定処分に関し、国有原野の隣接地の管理者の一人である諏訪村長は、田坂が野津原村長職務管掌者であるとして、同人に対し、境界査定立会い等の権限を委任していることが認められるところ、村長が公的に自己の権限を他者に委任する以上、受任者である田坂の地位権限を確認した上で委任したと解されること、公職にある田坂において官名を詐称しなければならない理由も認められないことからすると、本件査定処分当時、田坂は、野津原村長職務管掌者であったと認定するのが相当である。

なお、<証拠略>によると、立会通告書の領収証、立会請書には、田坂の氏名が「田阪義直」と誤記して署名されていることが認められ、田坂以外の者が右の署名をしたと推認できるけれども、村長職務管掌者等の要職にある者が領収証、請書等を提出する場合に部下に代筆させることは往々にしてあり得ることであるから、右の事実があるからといって、田坂が野津原村長職務管掌者であったとする前認定を覆すに足りない。

(4) のみならず、仮に控訴人ら主張のように、旧浅内一七六六番の土地の管理者が野津原村長でなく、また、本件査定処分当時、田坂が同村長職務管掌者ではなかったために、査定官吏黒木のした立会通告等が違法であったとしても、右の瑕疵はもともと手続上の瑕疵にすぎず、境界の調査・確定自体は、隣接地所有者もしくは管理人が誰であるか、また、立会者が誰であるかによって左右されるものではない上、前記町村制の規定、田坂による立会通告書領収証、立会請書の提出、諏訪村長による田坂への委任状の存在からすると、査定官吏黒木において、浅内一七六六番の土地の管理者が野津原村長であり、その職務管掌者が田坂であると判断したことが重大かつ明白な誤りであるとは到底いえない。

しかも、<証拠略>によると、本件査定処分後、浅内国有林は、本件係争地を含めて被控訴人の管理するところとなり、明治四二年からは、浅内国有林は、同国有林全般にわたって植林が開始され、引き続き現在に至るまで国の管理下にあったこと、地元住民においても本件係争地が国有林として管理されていることは了知していたこと、本件査定処分後五〇年以上も経過した後の昭和三四年ころに至って初めて本件査定処分について地元住民らから疑義が出たもので、それまでの間、本件査定処分については何ら不服が唱えられなかったことが認められるのであり(右認定に反する<証拠略>の記載は、前掲各証拠に照らし、にわかに採用できない。)、右の事実からすると、地元住民は、長期間にわたって、本件査定処分を実質上了解していたといえ、この点からしても、右の瑕疵の重大かつ明白性は否定されるというべきである。

(二) 内容上の瑕疵について

(1) 控訴人らは、本件査定処分は、字図を全く無視し、査定すべき所を査定せず、査定すべきでない所を査定したもので、その内容において重大かつ明白な瑕疵があり、無効であると主張する。

しかしながら、査定官吏黒木が、本件査定処分に先立ち、字図、土地台帳、地価帳、改租図、国有原野台帳等を査定資料とし、隣接地所有者の立会いを得て本件査定処分を行ったことは前記4(一)で認定したとおりであり、査定官吏黒木は、本件査定処分において、字図等を参考にした上、現地において土地の状況、地形等を観察し、かつ、隣接地所有者等の立会人の意見を聞いて査定をしたものと推認できるから、本件査定処分において字図が全く無視されたとすることはできない。

控訴人らの主張は、要するに、字図が正確であることを前提として、これを現地で復元すれば、本件査定処分によって査定された境界線が誤りであるとするものである。

しかしながら、国有地である旧カウ平一七六七番の土地と民有地である旧浅内一七六六番の土地が、同土地と国有地である旧浅内一七五九番一の土地がそれぞれ隣接していたことは前記4(一)(1)、(2)で認定したとおりである。そして、境界査定処分の性質からして、本件査定処分の確定により、旧浅内一七六六番の土地と隣接国有地の境界が被控訴人主張境界線として確定し、本件係争地が右国有地に属することとなったことは前記6(一)、(二)で判示したとおりであるから、仮に本件査定処分により結果的に旧浅内一七六六番の土地の一部を国有地に取り込むことになったものとしても、その是正は、法定の出訴期間内に行政裁判所に出訴し、同裁判所の判断によってなされるべきであり、その手続を経ないで、査定された境界の誤りを主張することは許されないというほかはない。控訴人らの主張は、採用できない。

(2) のみならず、次のとおり、本件査定処分によって査定された境界は、十分合理性があるというべきである。

<1> <証拠略>によると、字浅内の字図である入蔵村ノ内三拾七番字浅内全図(<証拠略>)では、字浅内は、全体として逆L字形の形状で記載され、東側は三拾六番字鍋ノ山に、南東側は上判田村に、北側は四拾二番字向山ノ口に、西側は三拾八番字カウ平にそれぞれ接し、南側は大野郡安藤村にまで達してこれと接し、旧浅内一七六六番は、字浅内の西半分を右安藤村から字向山ノ口まで南北にわたって占め、旧浅内一七五九番一は、字浅内の東半分を、上判田村から字向山ノ口まで同じく南北にわたって占め、両土地はかなりの部分において東西に接するように記載されていることが認められ、右事実によると、同字図の記載が正確であるとした場合には、本件査定処分によって査定された境界は、旧浅内一七六六番の土地を東西に横断する線となるから、たしかに、実体とそぐわないものといわざるを得ない。

<2> しかしながら、<証拠略>によると、前記浅内全図では、周辺地域の所在の特定がされておらず、現地における地形的特徴である浅内川や浅内溜池も明示的に記載されていないことが認められるから、旧浅内一七六六番の土地を特定するためには、字浅内の字図のほか、その周辺である字鍋ノ山、字カウ平、字向山ノ口、字安藤村等周辺地域の字図を総合的に検討しなければならないところ、<証拠略>によると、字浅内に隣接する字である字カウ平・字平蔵畑の字図(<証拠略>)には縮尺の記載がないこと、字樋ヶ谷・字日方山、字秀山の字図(<証拠略>)では縮尺が「曲尺貳厘ヲ以テ壱間トス」とされているのに、その余の字図は、縮尺が「曲尺五厘ヲ以テ壱間トス」とされていること、字浅内に隣接する字である字鍋ノ山の字図(<証拠略>)では、同字と上判田村との村界を示すはずの一点鎖線の記載がどこまでそれと記載されているのか必ずしも判然としないこと、字浅内の字図と大野郡安藤村の字図を対比すると、両者でその村界の形状が一致しないし、そもそも、右安藤村の字相互の間で方位が一致していないことなどの不都合があることが認められるから、本件字図を現地にあてはめてみようとしても、その復元は困難であるといわざるを得ない。

<3> <証拠略>、原審及び当審証人藤長晃興は、字カウ平・字平蔵畑の字図の縮尺を「曲尺五厘ヲ以テ壱間トス」とし、字樋ヶ谷・字日方山・字秀山の字図の縮尺を「曲尺五厘ヲ以テ壱間トス」と訂正し、その方位を訂正すれば現地での復元は可能であるとするけれども、右各字図の記載(あるいは無記載)に反して、右各字図の縮尺・方位をそのように読み込む明確な根拠はないから、右各証拠は、本件字図の復元の困難性を否定する理由にはならない。

仮に、右各証拠のように字図の縮尺・方位を読み込み、本件字図を現地において復元しようとしても、<証拠略>)によると、次のような不都合があることが認められる。

(a) 字浅内の字図と字向山ノ口の字図では、現地において両者の字界が一致せず、字向山ノ口の土地の南側と字浅内の土地の北側が広範囲に重なり合い、字浅内の字図と字鍋ノ山の字図でも、現地においては両者の字界が交差し、一部重なり合う部分が生ずるし、字カウ平・字平蔵畑の字図と字樋ヶ谷・字日方山・字秀山の字図でも、現地においてはその一部が重なり合う。

(b) 逆に、字浅内の字図と字カウ平・字蔵畑の字図を現地に復元しようとすると、現地においては両者が接合せず、その間に広大な空白部分が生じる。

(c) 仮に字浅内と字鍋ノ山の境界を、現地における地形的特徴の一つである浅内川とし、字浅内と字カウ平との境界を同様の特徴である吉熊川であるとしても、字図における字浅内の土地の形状は、国土調査の際の実地における地籍測量の成果とは必ずしも一致しない。

(d) 字浅内とその北側に接する字向山ノ口との字界、同じくその東側に接する字鍋ノ山、同じくその西側に接する字カウ平は、字図上も現地においても何ら復元特定するに足りる顕著な地形的特徴はない。

(e) 字鍋ノ山の字図を現地にあてはめてみると、字鍋ノ山一七五七番の土地の西側部分が前記地籍測量の成果と一致せず、現地における字赤松一五九四番の土地と重なってしまう。字鍋ノ山一七五六番一ないし三、同一七五七番の位置も前記地籍測量の成果と一致しない。

(f) 字図上、字向山ノ口は、西側半分が一七七九番台の土地が表示され、その最南端は一七七九番二であって、字浅内と接し、東側半分は北から南へ一八〇〇番台から一七八二番台へと地番の数字が小さくなり、その最南端は一七八二番四であって、字浅内に接し、右一七七九番二及び一七八二番四と字浅内との境界はほぼ東西に連続しているけれども、これは前記地籍調査の成果、すなわち、現地においては、一七七九番台の土地の南端に位置する同番四、六及び七の各土地の更に南側に一七八二番二、同番三ないし六の各土地が位置し、うち一七八二番二の土地がとくに広大で、同土地の南側がほぼ全面にわたって字浅内一七六六番一及び同番二の土地と接し、字向山ノ口一七八二番四の土地は、右字浅内の土地とは接していないことと一致しない(<証拠略>は、国土調査の際の地籍図作成の過程で、同一所有者内の土地については、利便性から、適宜地番の設定がされたとするが、右各証拠によっても、単にそのような可能性を指摘するに止まるものであり、右認定を覆すに足りない。)。

<4> また、<証拠略>を総合すると、旧浅内一七六六番の土地と旧カウ平一七六七番の土地とは、土地台帳上いずれも地積一八町歩と同一地積であり、乙、丙両地の地積合計が九町歩であるところ、本件係争地が旧浅内一七六六番の土地の一部であって、乙、丙両地であるとすると、旧浅内一七六六番の土地は旧カウ平一七六七番の土地に相当されるとする土地部分よりもはるかに広大となることが認められる。

したがって、字図に従い、本件係争地が旧浅内一七六六番の土地の一部であって、乙、丙両地であるとすることは、前記土地台帳上の地積の記載と矛盾することになる。

<5> 以上、検討したところによれば、本件字図は、その正確性について種々の疑問があって、これに全幅の信頼を置くことはできず、査定官吏黒木のした本件査定処分に本件字図における境界の記載と異なる境界査定部分があるとしても、それが不合理であるとすることはできない。

<6> 次に、査定官吏黒木の査定した査定点を現地にみるのに、<証拠略>によると、査定点1から同95までの間は尾根線であり、同95から同99までは隣接する民有地(田)との境であること、同99から同100までの間は全体として窪地状の吉熊川が流れている部分であり、同100から同105までの間は、地形上は南北の尾根の線が落ち込み、いわゆる馬の背状の谷のような部分が尾根を跨いで上下するような状況である(査定点101が尾根上に存する。)こと、同105から同106の間は、その南方にある浅内溜池から流れ出た浅内川の上流部分にあたり、同106から同117の間も川であること、同117から同136までは尾根線であり、同136から同157までの間は浅内溜池の敷地部分等との境であって、同157から同162及び同1までの間は尾根線であることが認められるのであり、査定官吏黒木は、尾根や河川等一般に原野における境界の徴表とされる地形的特徴のある部分を追って境界を査定していると推認できるし、前記4(一)(3)、(4)で認定したとおり、本件査定処分においては、隣接地所有者も立ち会っているのであるから、国有原野と旧浅内一七六六番の土地との境界と査定した部分(被控訴人主張境界線)も、その部分が山の谷にあたり、一部川も流れていることに着目し、隣接地所有者の意見を聞いて境界であると査定したものと推認でき、その査定結果にはそれなりに合理性があるというべきであって、査定官吏黒木による右査定結果が根拠を全く欠いたものとは到底いえない。

<8> 以上みたとおり、本件字図はこれに全幅の信頼を置くことはできないこと、査定官吏黒木のした査定にも一応の合理性があること、前記7(一)(4)で認定したとおり、本件査定処分後、本件係争地を含めた国有原野は被控訴人において長期にわたって管理され、本件査定処分は地元住民の実質的了解のもとにされたとみられることからすると、仮に本件査定処分の内容に瑕疵があるとしても、その瑕疵が重大かつ明白なものであるとすることはできないというべきである。

(三) 憲法違反の主張について

控訴人らの主張は、本件係争地が控訴人らの所有であることを前提とするものであるところ、本件査定処分が有効なことは前記のとおりであり、境界査定処分の性質に照らし、また、旧国有林野法、同法施行規則等に従って適法にされた本件査定処分が異議なく確定していることからすると、本件査定処分によって控訴人らの所有権が違法に侵害されたとはいえないから、控訴人らの主張はその前提を欠き、採用できない。

8  本件係争地の所有権及び乙、丙両地の位置について

(一) 控訴人らは、本件査定処分によっては、控訴人らが本件係争地の所有権を失うことはないし、被控訴人が所有権取得登記を経由していない以上、控訴人らに対しその所有権を対抗できない旨主張するけれども、前示のとおり、境界査定処分は、その性質からして、境界査定処分の確定により査定された境界に従って国有地の範囲も画されるものというべきであるから、本件査定処分の確定により本件係争地は国有地として確定されたというべきであり(仮に本件査定処分によって事実上隣接民有地の一部が国有地として取り込まれる形になっても、もともとその部分は国有地であったことになるのであり、右部分について所有権移転の観念を容れる余地はなく、したがって対抗問題となることもあり得ない。)、本件係争地について控訴人らの所有権が存在する余地はないといわなければならない。

(二) そして、<証拠略>によると、国有地である旧浅内一七五九番一、旧字浅内同番三、旧カウ平一七六七番、旧字鍋ノ山一七五八番、旧字日方山二八三二番の各土地は、大正二年一〇月三〇日合筆されて旧字浅内一七五八番の土地となり、その後同番一ないし六の土地に分筆されたこと、同番二は溜池、同番三は林道用地、同番四ないし六は、被控訴人が野津原町に売却した部分であって、いずれも本件係争地外の部分であり、同番一、すなわち甲地が国有林野であることが認められるから、本件係争地は甲地の一部として、被控訴人の所有であるというべきである(甲地が被控訴人の所有であることは当事者間に争いがない。)。

そうすると、本件係争地が乙、丙両地に含まれることを前提とする控訴人らの主張は理由がない。なお、控訴人らは、本件査定処分が無効であることを前提として、右合筆はその要件を欠いた無効なものであると主張するけれども、本件査定処分が有効であることは前示のとおりであるから、控訴人らの右主張も理由がない。

(三) ちなみに、字浅内一七六六番の二の土地の南側境界線が被控訴人主張境界線であることは控訴人らの自認するところである(昭和六三年(ネ)第四一四号事件本訴請求原因1(三)(3)<2>、<3>参照)から、乙、丙両地は、登記簿上は存在するものの、実際にいずれに存在するかは不明であるというほかはない(<証拠略>によると、旧浅内一七六六番の土地から字浅内一七六六番一ないし四の土地に分筆するに際しては、単に字図上の旧浅内一七六六番の土地を西北方から南東方にかけて順次ほぼ等面積になるよう四等分し、順に枝番を付す形で行われたもので、被控訴人との間で境界を確認する等の措置をとることはなかったことが認められるから(なお、右分筆及び各土地の所有権保存登記は昭和三四年になされたものである―<証拠略>)、登記簿上乙、丙両地が存在するからといって、実際にもそれらが甲地と隣接する位置に存在するものとはいえない。)。

三  以上の説示によると、本件係争地は甲地の一部として被控訴人の所有であるから、本件係争地が被控訴人の所有であることの確認を求める被控訴人の請求は理由がある。

第二昭和六三年(ネ)第四一四号事件について

(本訴について)

一(一)  請求原因(一)(1)及び(2)のうち、控訴人佐伯及び亡中山登が乙、丙各土地について持分各二分の一の割合の共有の登記を有していること、(3)のうち、<1>、<3>は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、請求原因(一)のその余の事実を認めることができる。

(二)  請求原因(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  控訴人らは、本件係争地は乙、丙両地であって、甲地と乙、丙両地は隣接しており、その境界は控訴人ら主張線である旨主張するけれども、昭和五七年(ネ)第二六六号事件において認定判断したとおり、本件係争地は甲地の一部であり、また、控訴人ら所有の乙、丙両地の所在は不明であるから、甲地と乙、丙両地とが隣接しているとは認められないというべきである。

そうすると、甲、乙両地と丙地が隣接することを前提として、その間の境界の確定を求める控訴人らの境界確定の訴えは、訴えの利益を欠くものとして却下を免れず、また、控訴人らの本件係争地についての所有権確認請求は理由がないといわなければならない。

(反訴について)

一  被控訴人の反訴請求原因(一)、(三)の事実は当事者間に争いがなく、本件係争地が甲地の一部であって被控訴人の所有であることは、昭和五七年(ネ)第二六六号事件において認定判断したとおりであるから、被控訴人の反訴請求は理由がある。

第三結論

一  昭和五七年(ネ)第二六六号事件について

被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり、本件各控訴は理由がないからこれを棄却することとし、なお、被控訴人は、当審において、控訴人佐伯、控訴人会社に対して所有権確認を求める部分を一部減縮して本件係争地としたから、その旨主文で明らかにすることとする(訴訟費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条適用)。

二  昭和六三年(ネ)第四一四号事件について

控訴人らの本訴請求のうち、境界確定の訴えについて実体判断をした原判決主文第一項は不当であるから、これを取り消して右訴えを却下する。また、所有権確認請求につき、控訴人らの本訴請求を棄却し、被控訴人の反訴請求を認容した原判決は相当であり、右部分についての控訴は理由がないから、控訴人らのその余の控訴を棄却することとする。なお、亡中山登の死亡に伴い控訴人中山らが訴訟を承継し、また、被控訴人は、当審において、控訴人中山らに対して所有権確認を求める部分を一部減縮して本件係争地としたから、その旨主文で明らかにすることとする(訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九三条適用。なお、控訴人らは、当審において、予備的請求を放棄したから、右請求は当審の審判の対象とならなくなった。)。

三  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田和夫 有吉一郎 山口幸雄)

別紙 物件目録 <略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例